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藤沢商店 1970年〜現在の歴史
川崎市麻生区片平、この地にお店を構えおよそ50年。
創業当時からの写真を追ってお店の歴史、この地片平の雰囲気を感じていただけたらと思います。

文責:藤澤家3男、藤澤直樹
それでは宜しくお願いいたします。
(現在作成途中となります。)

片平5丁目時代(昭和45年〜昭和48年)
 当店が片平に明治牛乳の宅配店としてお店を構えたのが1970年(昭和45年)。
初めてお店を構えた時は、現在錦寿司さんががお店を構えている場所でした。
(現住所だと麻生区片平5−5−11番地になります。)

写真に3人子供が写ってますね!
右端から一番上の兄(政明)、次に私(直樹)、左は他界した一つ上の兄(政道)です。
多分そうです(^-^)体のサイズから判断して。
車の奥にいるのが母(ハル子)です。



錦寿司さんの大将がお店を始めるための修行に出ている3年間という約束で店舗としてお借りしていました。

真ん中に積んである箱は木で出来ていますね。
下に写っているのは政明。
 若き日の父(正樹)です。
生まれて間もない弟(賢治)を抱いています。
左下に写るのは政道です。

後ろに自動販売機らしきものが置いてありますね(^-^)
父に隠れて商品は写ってないですが、一体何の自販機だったんだろうか?




兄政明。
真ん中の棚に牛乳壜。
下の棚には壜のコカコーラが置いてありますね!(^^)!
ショーケースの上に公衆電話が乗ってますね。

一番右哺乳瓶を持っているのが私、その次に母ハル子、真ん中に政道、左に写るのは祖母のサカエ(母の母)、抱かれているのが生まれて間もない弟(賢治)。
母の頭の後ろで隠れているのが店舗です。
この場所は店舗から結構離れていますね、片平川の近く辺りじゃないかと思います。
現住所だと片平6-5-1マンションプラウディア片平前の信号の辺りではないかな?
見ての通りこの辺りは住宅はなくほとんど田んぼや野原でした。



片平668番地(旧番地)時代(昭和48年〜平成14年)
 予定通り錦寿司さんの大将が戻ってきてお店を始める事となり新店舗の土地を探すことに。
その結果通りを挟んで斜め向かいの土地を購入しお店を構えました。
旧番地で片平668番地(現住所ですと片平6-3-23-1番地)の土地です。
祖父(喜重)、祖母(きよみ)も揃った家族全員の写真です。





 店舗真裏の空き地にて。
2つ上の写真、中央に左から白い壁が伸びてると思います。それがこの画像の壁です。
しばらくしてこの壁と段差はなくなりました。住宅が建つわけでもなかったんだけど・・・
いつの間にか店舗と同じ高さまで土が盛られ畑になってましたね。
右は弟賢治で、他は近所の子たちです。


 再度、若き日の父(正樹)です。
幌に書いてあるMAM(マム)とは何でしょうか?父に聞くと明治&ホニャララ?の略らしく、当時明治牛乳の宅配店に与えられていた名称で、宅配商品だけでなく店舗でも色々販売出来るように明治本社がプロデュースしてくれたとの事です。
気になってネットで調べてみたのですが流石に検索しても出てきませんね(+o+)。
画面左のアイスクリームのショーケースの隣にもう一つ置いてある茶色の小さいケース、これも明治のアイスクリームのショーケースです。
画像では分かりにくいですが「レディーボーデン」と書かれています。
竃セ治と米国ボーデン社との共同開発で生まれた「レディーボーデン」、当時では高級なアイスクリームとして人気でした。
懐かしいですね(^-^)
結構大きいサイズで、大きなスプーンでみなで取り分けて食べてたのを思い出します。
 当時は結構仰々しく宣伝したいたようです!(^^)!
見習わないと!
看板の「パイゲンC」は乳酸菌飲料で瓶入り60mlの宅配商品。
父曰くヤクルトに対抗した商品として出たらしいがそんなに売れなかったらしい・・・(+o+)
上の看板には「ゴールド牛乳」と出ていますね。
こちらは乳脂肪分をプラスした濃いめの牛乳で多くは出なかったけどそれなりに固定客もあった商品です。
何時くらいかな?10年位前まであったような?
ベンチに書いてある「スカット」は明治の炭酸飲料、こちらも懐かしい商品です。

兄達の大きさから移転後数年たった頃だと。
明治牛乳の販売のほか、駄菓子やパンなども売っていました。
右にチップスターらしきものが見えますね!

これはいつ頃だろうか?
私が中学生になる頃には右奥の建物が立っている場所(現在だとクリーニング店前の信号)にコールマンという床屋が出来ていたと思うのですが、その前なんで1980年代前半ってところでしょうか?
お店にはお米の「のぼり」が立ってるように、当店は駄菓子やパンの販売後、お米の販売するようになりました。